ここ1年半ちかく更新が途絶えていたママバオーですが。。
何をしてたかというと、ひたすら、試験勉強していました。
フルタイムで働きながら、ひたすらに。
そして、つい1カ月ほど前に、受験勉強をやめることを決めました。
繰り返します!
ママバーオーこと私母が、約1年半続けてきた国家試験の自らの受験勉強を、
この度ストップすることを決意しましたあああ!
目指していたのは、合格率6%の国家資格。
でも、もろもろ、限界であり、もろもろ、現実を知り、
主人のため、子供のため、何より自分のために、やめようと決めました。
もともと真面目なママバオーは、一大決意で試験勉強を始めたのですが、
これは想像以上に過酷な毎日でした。
試験勉強を始めてから、私は一日も勉強を休んだことはありませんでした。
強い強い決意があったから。
フルタイム勤務、家事育児とある中で勉強時間を必死に捻出しましたところ、
以下のものを削らざるを得なくなりました。
●鏡を見る時間
●子供たち含め、家族と過ごす時間(家族旅行も、私だけ行かない)
●食事する時間
●寝る時間
●お風呂に入る時間
夜は家事をやらざるを得ないため、朝5時に早起きして勉強。
子供たちを送り出して仕事
昼休みも食事をかきこんで、余った時間は勉強
電車の中も、勉強
お風呂に入る時間ももったいないから、ショートカットにして、時間短縮
子供たちとの会話も、最小限。話しかけられても、上の空。
土日も、食事の世話は最低限やるけど、基本朝から晩まで勉強
正直、人間らしい生活ではありませんでした。
頭は白髪だらけ、髪が抜け落ち、体重が落ちて頬がこけ、
とうとう睡眠薬がないと眠ることもできなくなってしまいました。
食欲も、どんどん落ちていき、ものの味がわからなくなりました。
精神的にどんどん不安定になり、
ささいなことで怒ったり泣いたりするようになりました。
・・・「これは限界だ」と思うようになりました。
ここまでして、受かる必要はあるのか?と思うようになりました。
それでも、勉強はやめませんでした。
試験1週間前は、有休をとって、ひたすら勉強しました。
そして、受験一次試験本番。
たったの2点差で、落ちました。
不合格でした。
不合格なのに、正直、ほっとしている自分がいました。
ああ、二次試験のために勉強しなくていい、少し、休める。
子供たちは「また頑張ったらいいじゃない」と励ましてくれました。
主人も、「本当によく頑張ったね」と言ってくれました。
それなのに、涙も出ず、ただただ、ホッとしたのをおぼえています。
しかし、不合格から3か月間も、一日も休まず勉強しました。
でも、1日1日と経つにつれ、「私は何をやっているんだろう」
「本当にこんな思いをしてまで、家族にこんな思いをさせてまで、受かる必要はあるのだろうか」
という疑問がふつふつと沸き上がり、
心から、資格をとりたいと思えなくなってきました。
資格の学校の先生に相談し、何人もの人に相談し、家族に相談し。。
私の幸せは、今資格をとることにあるのではないと、結論に達しました。
何よりも大事なのは、家族。
何よりも大事なのは、自分と家族の健康。
その日から、やっと食事がとれるようになり、眠れるようになりました。
子供たちとも向き合い、主人とも会話できるようになり、
ここ1・2か月で、少しずつ人間らしい生活を取り戻しつつあります。
受験勉強を応援しているブログなのに、
成功体験ブログ風なのに、
結果、自分、失敗してんじゃん!
結果、投げ出してんじゃん!
・・・うん、その通りです。
だから、大変お恥ずかしい報告です💦
子供たちにも、「勉強頑張れ」って言う資格がなくなってしまった気がします。
でも、こういう結論に達することは、中学受験でも十分ありえる話かなと思っての、
あえての報告です。
私自身も、ADHDグレーである長男の受験にあたり、
何度中学受験を断念しようと思ったことか。
このままでは、親子関係が取返しがつかなくなってしまうのではないかと、
何度悩み苦しんだことか。
辞めるのも一つの選択として正解だったのではと、今でも思っています。
だって、仮に受かったとしても、まず家族の心身が健康じゃないと意味がない。
受かることで、本人自身が幸せにならないと意味がない。
そして当然、家族も、崩壊してしまっては意味がない。
子供が、幸せになるための中学受験なのですから。
子供が、幸せになると信じるからこその、苦難の道なのですから。
私の人生、何が一番大事?と聞かれた時、
「自己実現も大事。でも・・やっぱり家族が大事だ!
そのためには、家族に迷惑かけないように私自身が健康でいないとダメだ」
ということに気づけたね、だから良かったね、という報告です。
きっと、中学受験を考えてらっしゃるお母さまは私と同世代かと思います。
ちなみに、ママバオーである私は、アラフィフでございます。
では、そもそも、どうしてこの年齢で難関の国家資格に挑戦しようと思ったのか?
そこには、母の自分自身への将来への大きな不安がありました。
どんな不安があったかについては、次回お話したいと思います!